自分を責め続けてしまうあなたへ


何か良くない出来事があった時、それを他人や環境のせいにする、それとも自分が悪いと思う、あなたはどちらの傾向が強いでしょうか。

例えば、あなたが欲しいと思っているX(エックス)というものがあったとします。
Xは、洋服やアクセサリーといった「物」でも「仕事」、「結婚」、「愛情」、「地位」、「お金」、「恋人」など、どんなものでも構いません。とにかくあなたが欲しいと思っているものを当てはめてみてください。

あなたは以前からXが欲しいと思っていましたが、なかなか手に入りません。そうこうしているうちに、今までそれを持っていなかった、身近な人が次々とそれを手に入れていったとします。

あなたはどんな気持ちになりますか?
そして心の中でどんな言葉をつぶやきますか?

仮に、Aさんは他人や環境のせいにする傾向が強い人、Bさんは自分が悪いと思う傾向が強い人だとします。


Aさんは、悔しくなってこう言います。

「何故私には運がないのだろう!」
「あの人はずるい手を使ったのに違いない!」
「今の世の中、正直者が馬鹿をみるんだわ!」
「あの人が〜してくれないから悪いんだ!」

つまり、こうなったのは自分のせいではない、と主張するのです。


Bさんは、とても暗い気持ちになってこう言います。

「どうせ私には、Xを手に入れることなどできないんだ」
「私はXを手に入れる資格のない人間だ」
「私は価値のない人間なんだ」
「いつだって、私は欲しいものを手に入れられない」

そして、どんどん自分を責めてしまいます。


二人の未来は、どうなっていくのでしょうか?


Aさんは、自分に責任がないと考えていますから、少なくとも自分を変えるという方法は思いつかないかもしれません。
そうすると、周りを変えていかなくてはならないわけですから、なかなか思い通りにいかないことが多いかもしれません。
もちろん、運よく望みが叶うこともあるかもしれませんが、全てにおいてこの調子でいくと結構ストレスがたまるのではないでしょうか。

ただ、Aさんほど過度にならなければ、「たまたま運が悪かっただけだわ」「こうなったのは私が悪いわけではないし、しかたがないわ」と軽く受け流し、他のことに目を向けたり、めげずに努力を続けることは、健康的といえるかもしれません。


さて、ここではBさんに焦点を当てて考えていきます。

同じ自分を責めることでも、例えば自分が間違ったことをした時に、良心が咎めたり、それに気がついて反省したりするのは健全なことです。それは、自分の「行動」を責めることであって、それを今後の生き方に反映させようという方向性があるからです。
しかし、Bさんの反応は自分そのものを責めて袋小路にはまっています。

Bさんのように「自分が悪いんだ」と思う気持ちを「罪悪感」といいます。
こういう傾向が強い人は、しばしば歪んだ考え方をしていることがあります。
歪んだ考えというのは、ある出来事に対して、自分なりのフィルターを通して極端な見方をしてしまっているということです。


もしもあなたにそんな考え方が次々と浮かんで、自分のことを責め続けてしまう時は、本当にその考えが正しいことなのか、つまり色のついたフィルターを通して物事を見ていないか「点検」してみることをお勧めします。

自分で感じている感情は絶対だという感覚があるかもしれませんが、フィルターを外して見ると、全く違った感じ方ができるかもしれないのです。悪循環を断ち切るために少し考えてみましょう。

例えば、
・私が悪いんだ
・私は価値のない人間だ
・人に知られたら軽蔑されるだろう
・誰か私を罰してほしい
・私が〜したから悪いんだ

などという考えが浮かんだら、 次の手順で点検してみてください。

まず、下の赤い字の項目をざっと見て、ピンと来たりひっかかるものがあったら、その下に書いてあることについてじっくり考えてみてください。
そして、考えた後と考える前で、罪悪感の感じ方の度合いがどうなったか確認してみてください。
あとは、順番に目を通して、自分の状況に当てはまる項目について、内容を確認していきましょう。
もし、あなたの状況に当てはまらないと感じる項目があったら、飛ばしてください。
また、各設問への答えがYESでもNOでも構いません。考える過程が大事なので正解を求めるものではありません。


・それは本当に自分が責任を負うことか
(過去に戻ったとしたら、それは予測可能で、防げたことなのか?
 「他人の考えや行動」にあなたが責任を負うことができるのか? 
 その問題とあなたの間にどういう繋がりがあるのか?)

・「〜するべきだった」と思うなら、それは何故か?
(誰がそうすべきと言ったのか?
 それは絶対正しいのか?
 そうしないとどうなるのか?
 そうしていれば事態は必ずうまくいったのか?
 「そうしなかった」理由を尊重できないか?)

・「〜できない私が悪い」を、「私は〜をしたくない」と言い換えてみたらどうか?
(それができないと何故悪いのか?
 それができなくても、他にできることはないか?
 誰かを喜ばせることはあなたの義務なのか?)

・何という言葉で自分を責めているか?
(私はずるい、情けない、なまけものだ…そんな言葉を5W1Hを意識して具体的に言い直したらどうなるか?

<例:私は優柔不断だ→私は人に頼みごとをされた時に、その場で断ることができずに引き受けるが、結局直前になって断ってしまい、いろんな人に迷惑をかけてしまうことがよくある>
言い直したそれを「私は○○だ」、と決め付けるのは自分の中にどうありたい、という期待があるからか?
<例:人に迷惑をかけてはいけない、人の期待を裏切ってはいけない>
自分は本当はどうであるといいのか?
<例:いつでも人に良く思われたい>
そしてそれは現実的なことか?
<例:場合によっては、期待に応えられないことがある>

それは自分で解決可能なことか?
<例:できそうにない時はその場で断るか、約束はできない旨を伝えればよい/今の私には解決方法が浮かばない>
今の自分に必要なことは?
<例:断ったことによって、もし嫌われたとしても、「しかたがなかった」と思えること/誰かに相談する勇気/上手くやっている人を観察する>

・自分を責めることで、物事はうまく運んでいくか
(自分を責めることにどんな意味があるのか?
 こうしている間に、別のことをしたほうが事態は好転しないか?)

・自分を責めることで何かを回避していないか
(行動を起こすこと、努力すること、自分にとって嫌なことを先延ばしにしたり、嫌な出来事を自分に納得させる理由づけにしていないか)

・自分を責めることで報酬を得ていないか
(他人からの慰めを受けること、または自責することがある種の快感になっていないか)




誰もすき好んで自分を責めるわけではない、自分を責めることは苦しいことだ、という考えもあるかもしれません。
それでは、何故自分で自分を苦しめるのでしょう。

それは、その人の考え方の癖なのです。
そういう癖が身についた背景は人によって様々なものがあるかもしれません。
その背景は変えられないかもしれませんが、考え方の癖は変えることができるのです。

点検の結果はいかがでしたか?
あなたはこれからも自分を責め続けますか?
それとも、自分を責めた裏側にある「欲求」を見つけ出し、それを手に入れるために行動を起こしますか?

もし、一歩踏み出す勇気が出たなら、次のことを心に留めてみてください。



あなたは、誰か他の人の分まで責任を負う必要はありません。

あなたは、これから起こることを完全に予測することはできませんし、まだ起こっていないことを悲観する必要はありません。

あなたは、慰めや懲罰以外にも自分を支える方法とそれを見つける力を持っています。

あなたに何が起こっても、あなたの価値は変わりません。

そして、あなたはとても自由です。



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(C)2006 Mariko Sato